天平二年正月十三日に、大宰師(大宰府の長官で九州を統括する役職)大伴旅人邸で館内諸国の官人を招き梅を愛でる宴会が行われました。
これを「梅花の宴」と言います。大宰府に赴任後すぐに妻(大伴郎女)を亡くした旅人。その哀しみを歌に詠んでいます。
この宴に参加した筑前守・山上憶良らは、そうした旅人の心情に寄り添う歌を残しました。旅人と憶良、そして旅人の子大伴家持が過ごしたここ太宰府は万葉ゆかりの地です。
新元号「令和」はここ太宰府で行われた梅花歌序文からの典拠となりました。
これを記念し、この場所に元号記念碑を建立します。
天平二年正月十三日に、師老の宅に萃まりて宴会を申ぶ。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、
梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。
于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香